豺狼の介護生活と対策等

母の介護と豺狼の日々

介護放棄を非難する方は介護の現実を知らない

介護を放棄する人を非難する人がいます


私から言えば、それは綺麗事でしかないです。
育てて貰った恩だの義務だ、介護放棄するなら税金上がっても文句言わないよね?なんてこと言ってますが、見当はずれな意見ばかりで実際の介護をしている人が言っているのかと疑問に思います。


 育てて貰った恩という以前に、子供を育てるってのも法律で義務として定められていたはずですよね・・・それを恩だのなんだのいう事自体がそもそもの間違いですし、義務と言われますが法的に親の老後は子が養わなければならないというものは私の知る限りありません。
 介護放棄に対して増税されても文句言わないよね?っての我が家にとって話が合いません。
 介護認定のシステムを理解していない又は認定が貰いやすい地域に住んでいるんでしょうね。だからそういう事が言えるのです。
 うちの親はちゃんと税金払ってきましたが、寝たきりになろうが喋れない立てなくなろうが下たれながしになろうが介護認定が要介護1から上がらなかった(上がっても更新で12二段階下がる)ので完全介護状態でした。
 これで仕事しながら貯蓄を切り崩し、一時借金して生活していました。
 断言しますよ。増税されても私の介護環境は何も変わりませんよ。
 地方によると思いますが、私の地域では介護度は下がっても上がりませんからね・・・。
 病院の先生が「おかしすぎるだろ!直ぐに手続きを!!」と言って3まで上がっても次の更新で1に戻るんですから・・・・
 なので増税で文句言うなと言う時点で介護を知らない人が言う綺麗ごとでしかないと断言します。


 じゃ老人を見殺しにするのかって?


 逆ですよ。


 老人の為に若者の人生がつぶれていいのですか?
 そうですか・・・いいんんですね・・・・
 
 ま、私の人生終わってるからもうどうでもいいけどね



親が爺さんばあさんの世話をしてきたんだからと言う人もいるでしょう。
調べてモノ言ってください。
その時代と今の時代での物価、平均給与、平均生活費を・・・
 
 介護を知らない人がきれいごとを言うのはこの現実を知らないからですよ。


 私は月給45万の会社員でしたが介護が始まり、施設に入れられなかったために親の介護を始めました。
 年20回以上救急に運び、毎日のように下の処理を続けながら職を転々とする生活を7年間続けました。
 何度か親を殺そうと思った時もあります。
 
 それでもたまに放棄しただけで「あんた親の面倒くらいみなあかんで!」「あんたは親不孝者やな!」と罵倒されるのにも疲れ、実家を放棄しました。


 綺麗ごとを言う人、介護施設で働いてみてはどうですか?
 終わりの無い無料の奉仕を金を払ってやり続ける苦労を喜んでされる人間ができた人なんでしょうね・・・。

自分と向き合う


 去年10月に母の容体が安定していたので派遣を辞めて心機一転し再就職を経て正社員になりました。


 ですが現実を再認識させられ、自分の心と改めて向き合う為に会社を辞める覚悟をしました。


 今の私にあるのは不安と恐怖。
 どう足掻いても悪い様にしか想像できず、それを察した職場の人が離れていき孤立という悪循環が続いており、改めて自分の心理状態が職場に適合していない、いや、自分の心理状態が正常ではなく、このままでは自分だけでなく会社に悪影響を及ぼしかねないと判断しました。


 長い事介護と派遣を繰り返しているうちに周囲が見えなくなっていたようです。
 周囲が見えないという事は自分を中心に考えてしまい、周囲の意見を受け入れない自己中心的な考え方になってしまっていたという事です。
 更に悪い事に、相手を思いやる、相手の気持ちを察して行動するという事が出来なくなっていたという事にも気づきました。
 ですが時すでに遅く、私の周りに人は寄り付かなくなっていました。
 この時の自分は「ああ、僕は嫌われているんだ」と思うようになっており、更に人とのの距離が離れていっていました。
 要は悪循環が始まっていたのです。


 原因はいくつかありますが、そもそも自分が変わらないとなにも始められないと思っています。


 ではどうやって自分を変えるかですが、まずは環境を変え、付き合う人を変え、1からではなく0から自分をさらけ出す事から始めようと思います。


 去年末に母が施設に入り、手がかからなくなって以来自分というものが無い事に気づき、こういった心理に陥ったのだろうと自負はしています。
 これまでは不満や愚痴が多く、それに向き合いながら生きてきましたが、いざそれがなくなると自分というものが何も無いという虚無感や周囲を気にして些細な事で不安になり悪い様にしか考えなくなるという鬱状態なのだと思います。


 思えば面接の時から兆候はあったのです。
 それすら気づかなかったほど自分がダメになっていたという事です。
 面接官もその辺を見ていてさりげなく諭していたのに私はその空気すら読めなくなっていたという事です。


 あと1か月半ほどですが、早い段階で辞めれるよう話をしようと思います。
 この話しかける事すら今の私には辛いです。
 ですが自分で招いた事なので結果はどうなろうととにかく行動していこうと思います。

親父とは

 見る人少ないだろうけどこんにちは、こんばんは


 今現在一人暮らししております。
 
 父が入院し先生から「もう家に帰れないでしょう」と言われ、母の面倒に疲れながら派遣で働き、たまに友人宅で心身共に休んでいたタイミングで格安物件と出会い、同じタイミングで友人から家財捨てる手伝いを頼まれ、片付け手伝うから使える家財貰う事になり、速攻で契約して引っ越しした。


 引っ越しして1か月、父が他界。
 なんだかんだゴタゴタし、母が落ち着き始めた時にこのブログを思い出し今に至る。


 我が家の家系は僕で途絶える
 よって子のいない人の最期や墓じまいを全て僕が引き受ける話になっている。いや、なってしまった。
 従妹等はいるが、余命宣告受けてたり障碍者であったり縁が切れてたりとで僕が最後は墓守して墓終いして終わる。
 どれももめる可能性がある。いあ、あった。
 それもいい機会だったので話付けておいた。
 いつになるか分からないがそう遠くない未来、順に僕の最後の役割が始まる。



 父には感謝している。
 感謝しかない。
 親族含め遺産は貰うつもりはないと親父には言っていた。
 母は金の事ばかりで僕は常に金に困っていた。
 親父の保険の更新と切替の時、僕の為に母の反対を押し切り親父の保険内容を変えたがそれが原因で母はその保険屋と話ししなくなった。
 生前親父に一度聞かれたのを覚えている。
 「おかん騙されとるって怒っとるけど大丈夫なんか?」
 僕は答えた
 「あのままだともし親父がボケたりしたら全部おかんのモノになってその時おかんに何かあっても面倒見れへんから僕が困るんや、もし施設入れるにしてもどうするにしても僕が困るから僕の為に代えさせてもらったんや」
 すると親父は聞いてきた
 「そうか、お前が助かるならそれでええ」
 これが保険手続き終わった後に親父とした会話だった。


 そして親父が死んだ。
 診断書も出た。
 どうせ俺は一円ももらえんからどうでもいいし貰う気も無い。喪主だし動けるのぼくだけだから葬儀から相続まで一人でやって最後まで面倒だなと思いながら保険屋に電話して最後の手続きを開始した。
 そして当てにしていなかった「万が一の為の保険」が僕に降りる事が分かった。


 泣いたよ・・・。
僕には何も残らないと思ってた
何度も会社を休み社会的信用を失い、金を失い、兄弟や親戚から面倒事の全て押し付けられ、親父の苦しむ姿を思い出しながらまだ母の最期を面倒見なければならないんだ、こんな事で躓いとられん。気を抜くな!もっと踏ん張れ!俺しかいない!俺しかできる者がいないんだ!俺がしっかりしなければ、俺が終わらせねば・・・まだ親類のケツ拭きも残ってる。僕は最後の後始末を永遠として何も残らないんだと思ってた。
 何もいらない、最後の俺は誰にも迷惑かけないように準備して死んでいこう。
 そう思ってた。


 思えばいつも「おかんに任せとけ」と言って母に逆らわなかった父があの時だけ「お前に任せる」と言って母と喧嘩して僕の意思を組んでくれたのはこういうのを想定してたからかもしれない。
 契約したころに「おい、あの保険なんやった?」「あの保険屋いつくるんや?」「二年か、長いな」
とぼやいてたのを思い出した。


それからも
 「お前には何も残してやれんですまんな」
 「ええで、俺は男やし独身やから金が無くてもどうとでもできるから気にせんでええ」
こんな話をよくしてた気がする。


 でもずっと思ってた。
何で姉は数千万も貰って俺には一円も無いんだ?
何で親戚は姉にだけ金やって最後の面倒見るだろう俺には何も無いんだ?
何で金あるのに俺が払い続けねばならないんだ?
何で俺だけ世話せなあかんのだ?
何で俺しかいないんだ?
何で俺が全て、そう、病院での決断まで一人で決めて責任追わねばならないんだ?
何で俺だけ一人で2人も3人も世話しなければならないんだ?
何で俺なんだ?俺はそんなに悪い事してきたのか?


 最後は俺一人になるんだろ?
 何も残らないじゃないか・・・
 終わったら俺からっぽじゃないか・・・
 何もないじゃないか・・・
 まあひとりだからそれでもいいか・・・
 僕で終わらせたらええ、全部終わらせよう・・・
 俺で全て清算して、姪っ子に我が家の家系の事で迷惑かけんように出来たらそれでいっか・・・
 もう何ものこらんでいいや・・・


そう思ってた。
 でも最後に親父が残してくれてた。
 最後に俺が困らないように、何度も「もういつ逝ってもおかしくありません」と言われながら、何度も「もうええで、親父もうしんどいやろ、もうええんやで」と言っても生き続けたのはこの為だったのかもしれない。


 僕受け取りの唯一の保険金
  親兄弟のサイン不要の手続きがされていた。 


 母の貯蓄が尽きるまであと1年
  それ以降は僕が出し続けるか実家担保で借りるか最悪僕が借金したらいっかと思ってた。
 でもこれで金銭的にだいぶ楽になれる。
 これだけあれば母の最期まで持つだろう。
 これで派遣終わって無理してバイトしなくて良くなる。
 少し心に余裕が持てるようになる
 
まだすべて終わっていないが
 最後に救われたよ・・・
 本当に救われた・・・


 親父、最後の置き土産ありがとう。
 これだけは素直に受け取っとくよ。
 ありがとう